2012年8月29日水曜日

地震予知の代名詞たるナマズ。そのナマズの感じている微細な電波が見えてきた。


「地震は予知できるのか?」

地震大国・ニッポンにおいて、この問いは何度も浮上し、そのたびに沈んでいった。

それでも、日本人たちにとっての地震予知は、悲願でもあり渇望でもあり続ける。



江戸の日本人たちは、「ナマズ」にその助けを求めた。

「安政見聞誌」にはナマズの地震予知に関する、こんな逸話が残る。


2012年8月26日日曜日

「真珠」の美しき輝きは「アコヤ貝」の涙であろうか?


「月のしずく」とも称せられる「真珠」。

それは、「貝」の生み出した「偶然の産物」であった。




硬い殻に覆われている貝であるが、じつはタコやイカと同様、「軟体動物」。硬い殻の中にある彼らの本体は「グニョグニョ」。

その脆弱なグニョグニョの本体を防護するために、鎧のような硬い殻をその身にまとっているのである。



しかし、グニョグニョの本体は硬い殻(鎧)とこすれ合うと、とても痛い。

この不快さが何とかならぬかと編み出したのが、「真珠層」と呼ばれる柔らかいインナーである。

幸いにも、軟体動物の血液には「カルシウム」が豊富であり、それを結晶化させれば、ほどよい柔軟性をもった膜を作ることができたのだ。



結晶化させたカルシウムを、せっせとタンパク質で繋ぎ合わせて作ったのが「真珠層」。その真珠層は外界の光を反射すると、キラキラと虹色に輝いて見えた。

こうした「真珠層」を持つ貝は数多い(貝殻の裏側がキラキラと輝く貝を思い起こして頂きたい)。




その真珠層が丸く結晶したモノこそが、人類の愛してやまない「宝石」となるわけであるが、天然の状態で丸い結晶が見つかることは極マレである。

その確率は1000分の1程度と言われており、しかもマン丸ではなく「イビツな形」であったりもする。



流れ星のくれた生命。彗星のもたらした奇跡


夜空を流れる「流れ星」

かつて、諸葛亮(三国志)は赤く大きな流星が3度流れる様を見て、自らの死を悟ったといわれるが、現代に生きる我々はその流れ星に願い事を託す。

古来、流星はその儚(はかな)さから「死」を連想させることもあれば、その希(まれ)であることから「希望」を象徴するものでもあったのだ。



人類が流星の中にこうした「生死」を見てきたのは、もしかしたら本能的なものだったのかもしれない。なぜなら、最近の科学者たちはこう考えているからだ、「地球上の生命は、流れ星に乗ってやって来た」と。

「?」。科学者の言葉とは思えないほどファンタジーな発言ではないか。しかし、彼らがそう言うからには、そこにはそれなりの根拠があるはずである。