2012年9月10日月曜日

たかが白菜、されど白菜。本当は変わりたいその想い。


現在の日本では、「大根」「キャベツ」に次ぐ国内第3位の生産量を誇る「白菜」。

その普及発展は意外にも遅く、「明治時代」も後期に入ってからである。



日清(1894)・日露(1904)などの戦役を通じて、中国と日本を行き来した軍人たちは、中国で見つけた「珍しくも美味しい野菜(白菜)」の虜(とりこ)になった。

「こんな美味しい野菜ならば、ぜひ日本でも栽培したい」と思った軍人の一人が、「庄司金兵衛」。彼は第2師団に属する仙台出身の兵士であった。



さっそく中国から「白菜の種」を日本に持ち帰った庄司。郷里の友人たちにも、その貴重な種を配り歩く。

庄司の予想通り、「中国には、なんと美味い野菜のあることよ」と、友人知人に大いに賞賛されることとなる。






ところが、その美味しい白菜が、その問題を露呈するまでには、それほど長い期間はかからなかった。

なんとなんと、種を採って育てるうちに、白菜の形態がみるみる変化(へんげ)していくではないか。あるモノは葉っぱが巻かなくなったり、あるモノは根っこばかりが異常に肥大したり…。

それもそのはず、白菜の属する「アブラナ科」という植物は、多種との交雑が極めて激しく、「同じ姿、同じ味」を維持するのは至難の業(わざ)であったのだ。



アブラナ科植物のこうした交雑性は、ときに「浮気が過ぎる」とも表現される。

人間に例えるならば、「白人・黒人なんでもござれ、国際結婚なんのその」。さらには、一夫多妻の大活躍である。その子孫はと言えば、どこの民族なのか、何人なのかも判然としないであろう。髪が金髪だったり、肌が浅黒かったり…。

そんな雑多な中を生き抜いてきた「白菜」の親元を探っていくと…、意外にも「カブ」と「チンゲンサイ」に行き着くことになる。親たちとは似ても似つかぬ風貌の白菜ではあるが、カブからは「葉っぱをたくさん出す性質」、チンゲンサイからは「葉っぱを立ち上がらせる性質」をそれぞれ受け継いでいるのだという。

白菜が産声をあげたのは7世紀頃と言われ、その地は中国・揚州であるとされている。白菜を英語で言うと「チャイニーズ・キャベツ」となるのは、その原産地に対する敬意でもあろう。




日本には、江戸時代ころからチラホラと白菜が姿を現していたそうなのだが、なにせその品種保持の困難さから、なかなか日本人に親しまれることはなかったということだ。

日露戦争のお土産として「白菜の種」を持ち帰った庄司金兵衛も、やはりその栽培を諦めざるを得なかった。最初は美味しい白菜ができても、何年と栽培を続けるうちに、だんだんと美味しくなくなって、その形も奇形ばかりが目立つようになるのだから。



ところが、庄司の持ち帰った種の幾粒かは、幸運にも「沼倉吉兵衛」の手へと渡っていた。

もし、白菜の種が沼倉の手をすり抜けていたとしたら、現在のように白菜がスーパーの陳列棚に列をなすことは、ついぞなかったかもしれない。宮城農学校に勤めていた沼倉は、なんと20年もの長き年月を費やして、白菜の品種固定に成功したのである。

多種との交雑を避けるために、その栽培の地を孤島たる「馬放島(松島湾)」に求め、ひたすらに純血を保つことに専念した。その様は、愛しい愛娘をカゴの中で育てるに等しいもので、盛んに言い寄ってくるヤクザな連中には、指一本触れさすまいとする強い決意のあったことであろう。




そうして誕生した純潔の白菜こそが「仙台白菜」。大正11年(1922)、東京に初出荷されて好評を博し、そのわずか1年後には全国へと普及していく。

この頃、宮城県には陸前中田駅(現・南仙台駅)という駅が作られているが、それは爆発的に需要の増大した仙台白菜を、全国に送り出すためだったとも言われている(中田地区は仙台白菜の主要な生産地であった)。

そして、昭和初期には「日本一」の称号も仙台白菜には与えられたとのことである。




これほど一世を風靡した仙台白菜であるが、現代に生きる我々のほとんどは、その存在を知らないし、また食したこともないであろう。なぜなら、第二次世界大戦以降、仙台白菜が栽培されることは、ほとんどなくなってしまっているからだ。

「盛者必衰の理」に従うこととなった仙台白菜。その衰退の原因は、やはり当初から問題視されていた「激しい交雑性」。同じ姿形・同じ味を保つことが極めて困難で、一定の品質を保持しきれなかったのである。

変化したがる白菜を無理くり同じ品質に留めておこうとする所業は、白菜に対しても多大なストレスとなる。それゆえ、「栽培が難しい」という欠陥も仙台白菜が敬遠される大きな原因となった。



自然界の視点に立てば、白菜が同じ姿形を保持することほど不自然なこともない。

あれほど好色なアブラナ科の植物(白菜)が、なぜに無理矢理ストイックな暮らしを強要されねばならぬのか?

それこそが「人間の欲望」である。我々人間は、白菜が永遠に「白菜のまま」であることを求め続けるのだ。



ところが、当の白菜にとって、そんなことは「知ったこっちゃない」。その花粉をミツバチたちに運んでもらい、常に新たな出会いを求め、さらなる進化を模索してやまないのである。

これがアブラナ科植物(白菜)の成長戦略であり、「変わり続けること」こそがその根幹に位置する最重要課題である。彼らはそうすることで、野原を黄色一色に輝かせ続けてきたのである(菜の花もアブラナ科)。

彼らの求めるのは、単なる姿形の整合性ではない。むしろ、姿形には一切こだわることなく、貪欲すぎるほどに「生のみ」を追求し続けているのである。




一方の人間はと言えば、じっとできない白菜たちを「まあまあ」となだめ、「その場にとどまる」ことを強いる。市場においては、姿形が規格から外れるものは「規格外」。何の価値もない「クズ野菜」にしかならない。

概して農業とは、進化(変化)したがる植物たちを、ある意味、無理ヤリ畑の中に閉じ込めておこうとするものだ。植物のみならず、畑だって進化(変化)しようとする。最初は短い草しか生えない土地でも、土壌が豊かになってくれば、低木が生え、高木が生え、いずれは森となり山ともなる。

しかし、農家にとっては、畑が雑木林になられてしまうのは、大いに困る。徹底的に草を刈り、土地をひっくり返しながら、畑が「畑のまま」で進化(変化)を止めてもらわなければ、商売あがったりだ。



工業的、商業的な農業においては、もはや「自然の理(ことわり)」に従うことなど許されない。むしろ、いかに上手に自然の理に逆らっていくかが焦点となるのである。

変化(交雑)しようとした仙台白菜の言い分は大いに正論ではあるものの、栽培農家にとっては最大のタブーでもあったのだ。




さて、一部の地域で「伝統野菜」として細々と栽培の続けられていた「仙台白菜」は、ひょんなことから再び脚光を浴びることとなる。

仙台白菜の栽培が続けられていたのは、宮城県名取市。仙台白菜全盛の時代に、もっとも栽培の盛んだった地域である。ご存知の通り、この地は東日本大震災において、大津波が直撃した地でもある。

大津波が去った後には一切の人造物が消え、その代わりに残されたのは、大波が持ってきた「塩分」ばかりであった。塩をまかれた畑に育つ作物は、ほどんどない。大津波に洗われた農地は、もはや使い物になるものではなかった。



ここに「仙台白菜」の出番があった。

野生の中を強く生き抜いてきた歴史をもつアブラナ科の植物は、「塩害」に強いものが多い。栽培野菜となった仙台白菜とて、他の野菜に比べれば、その強さは相当なものである。

昨年夏、津波による塩害を受けた農地に播種された植物の中には、「仙台白菜」もその名を連ねていたのである。



自然環境が安定している時であれば、人間のワガママは大いに許される。

しかし、ひとたび自然が牙を剥いた時には、我々はシッポを股の間に挟んで逃げまわるより他にない。我々人間という種は、自然界においてそれほどに弱い種であり、小さな存在でもあるのである。

ワガママが言っていられるうちは幸いだ。しかし、ワガママが言えるのは、ヌクヌクとした温室の中に寝ていられる時だけであることも忘れてはならないだろう。大地震が来て、大津波が来れば、人間が自然の理に逆らうことなどは、毛の先ほども許されない。文明の力によって自然の厳しさを遠ざけてきたつもりでも、我々がその厳然たる法則から逃れる術はどこにもないのである。



白菜たちはその辺の事情を熟知しているのであろう。「変わらないことほど危険なことはない」と思い定めているかのように、飽くなき進化を止めようとはしない。

人間たちに良い顔をする一方で、さっぱり野生の魂を失ってはいないのだ。



交雑を得意とするアブラナ科の植物たちは、じつに多彩である。

菜の花、ナズナなどの野生種から始まり、栽培種もブロッコリー、キャベツ、大根、カラシ菜、高菜、白菜、ラディッシュなどなど、数え上げたらキリがない。アブラナ科の植物だけでも、我々の食卓は十分な豊かさを保てるほどである。




このように、姿形が雑多なアブラナ科の植物たちではあるが、その花は概ね共通している。十字架のような形をした4枚の花びらが、その特徴だ(色は白や黄色など、種によって異なる)。また、種子の形状も似たものが多い。その種を植えてみなければ、将来何になるのかは分からないほどである。

こうした変わらない部分ばかりは、変化を主とするアブラナ科の植物たちがとりあえず出した結論でもあるのだろう。




そろそろ寒い冬に春の光が差してくる季節となる。春の野には、菜の花の黄色い姿がよく似合う。

それらの花は静かに咲いているようでいて、その胸には「今度はどう変わってやろうか」と野心を抱いているのかもしれない。



我々が期待するよりも、自然の理はダイナミック(躍動的)である。

そしてそのダイナミズム(躍動)こそが、その魅力なのでもあろう。

大海原に杭を打って固定するのも良いが、その波の動きのままに遊ぶのも、また可笑(おか)し。




出典:いのちドラマチック
「ハクサイ 浮気野菜の甘い秘密」



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