2012年9月10日月曜日

雷の落とし子たる「妖精たち」。地球と宇宙の大循環


雷のしきりに走り光る夜。

上空10kmを飛ぶパイロットたちが目にする「奇妙な閃光」があった。しかし、その閃光はあまりにも一瞬であるために、「目の錯覚だろう」と長らく思われていた。

そんな中、宇宙飛行士「イラン・ラモーン」は、宇宙からその閃光の「撮影」に成功した(2003)。

しかし残念ながら、彼の搭乗したスペースシャトル「コロンビア号」は、地球へと帰還する際に大爆発を起こし、乗員7名すべてが不帰の人々となってしまった。ところが、そんな大惨事にあってなお、その貴重な映像だけは、奇跡的に無事であった。





その奇跡的に残された映像には、確かに「奇妙な閃光」がしっかりと記録されていた。

雷雲から「下(地球)」へと向かうカミナリの光とは別に、宇宙に向けて「上方向」へ、その閃光は放たれている。地上へのカミナリが局所的だとすると、宇宙へのカミナリはかなり広範囲にわたっている。

この不思議な閃光を、研究者たちは「ストライプ(妖精)」と呼ぶことにしたようだ。捕らえようにも捕らえ切れない「つかみ所のなさ」が、その命名の由来だ。



「妖精」に魅了された研究者たちは、そのシッポを何とか捕まえようと空を追いかけ回した。

国際宇宙ステーションに超高感度カメラを設置したり、専用の衛星を打ち上げたり…。そして、実際にジェット機に乗って、雷雲すれすれまで突っ込んでいった(普段は避けて通るはずの雷雲に!)。



奇跡が起こったのは、奇しくもアメリカ独立記念日(7月4日)の夜。

アメリカの夜空にバンバンと花火が打ち上げられている、まさにその夜。雷雲のそのまた上空の宇宙との狭間で、雷雲から発せられる「スプライト」がバンバンと光っていた。あたかも打ち上げ花火のように。

その一夜に確認された「スプライト」は、50以上。ジェット機に乗り込んでいた命知らずの研究者たちの熱狂は、筆舌に尽くしがたい。

「キターーーーーッ!!!」の連発である。「巨大クラゲだ! 火星人だ!」と、研究者たちは子供のように大いにはしゃぎまくっていた。危険な雷雲と隣り合わせに飛んでいることなどスッカリ忘れてしまって…。




その夜の類マレな成果により、かつては「謎の光」とされたスプライトの全貌が明らかになりつつある。

雷雲に蓄えられた電気は、ある一定量に達すると、その溢れた分が地上へと落雷する。ところが、雷雲がかなり上空にある場合には、貯まった電気が落雷したくてもなかなか落雷できなくなり、異常なまでに電力を貯めこんでしまう。

そのはちきれんばかりに貯まりまくった電気がその限界を超えた時、とんでもない巨大カミナリが地上へと降り注ぐことになる。宇宙ステーションから見ても、その光は眩(まばゆ)いほどだ。

「ストライプ(妖精)」がその姿を現すのは、まさにそんな時。大量の電気が地上に放出されると同時に、宇宙へ向かって「ポンッ」と花開いたように妖精たち(ストライプ)が輝くのだ。




妖精たちの放つ光の軌跡を下に追うと、それは落雷を発生させた雷雲に行き着く。他方、その軌跡を上に追うと、それは宇宙へとつながっている。

地球と宇宙の間には、「大気光」と呼ばれる薄ボンヤリと光り輝く層が存在するが、上へ向かった妖精たちはその大気光の中へと吸い込まれていく。妖精たちは、地球と宇宙の間を行き来するかのように、その狭間に遊ぶのである。

地上へのカミナリや、宇宙への妖精の飛翔(ストライプ)などによって、地球上の電気は「大循環」を繰り返している。妖精(ストライプ)の通った道に沿って、地上の電気は宇宙へと舞い上がる。そして、宇宙との境の領域にまで達すると、今度は地球へと降り注ぐ。




日本には「狐火(きつねび)」と呼ばれる現象が各地で語り継がれているが、ある研究者によれば、その光(狐火)は宇宙から舞い降りてきた電気によるイタズラなのだという。

狐火とは、人々が寝静まった夜中に、遠くの山々の峰を点々とした光が列をなしたように見える現象である。その様は、キツネの嫁入りに例えられ、点々とした不思議な光は花嫁行列に従うキツネたちが持つ提灯(ちょうちん)だというのである。



西欧では「セントエルモの火」と呼ばれる発火現象があるが、こちらもやはり空からの電子のイタズラだという人もいる。セントエルモの火とは、夜の海に浮かぶ船の「マスト」の先端が、揺らめく炎のように怪しく光る現象である。

山々の頂(いただき)や船のマストの突端などのような「尖(とが)った部分」に、上から降る電子が集まりやすいという現象は、科学の実験などにより、よく知られた現象である。水平にした「鉄板」に電気を貯めて、その下に「針」をかざすと、その針の先端は火が灯ったようにボンヤリと輝く。

宇宙との境に電気が貯まり、それが飽和して地球に降り注げば、それらの電子は地上の「尖った部分」に集中的に集まりやすいのである。




宇宙との境から降り注ぐ電子は、地球にとっての「恵み」でもある。

日本の田舎では、「狐火が多く見られた年は『豊作』だ」との言い伝えもある。同様に、カミナリの多い年も『豊作』だとの伝承も数多い。科学的には、降り注ぐ電子が作物の肥料分となる「チッソ」を土地に与えてくれるからだとの説もある。

しかし、「恵み」となる一方で「災い」をももたらすと主張する研究者もいる。昨今、未曾有の豪雪が世界各地で記録されているが、その原因が宇宙からの電子にあると言うのである。

※セントエルモの火が見られるのは、決まって悪天候の海である。



上空から降る電子が「雲」を通過する時、その電子は雲中の水分と結びつく。

電気を帯びた水分は互いに反発しあうため、なかなか雨となって地上に降りられなくなる。すると、電化した雲は雨を降らせられずにむくみまくって、ブクブクと異常発達する。こうして、巨大低気圧が発生し、それが異常な大雪となり人々を苦しめることにもなる、とブライアン・ティンズレー博士(テキサス大学)は主張する。



なるほど。妖精たちは人々を喜ばせることもあれば、悲しませることもあるようだ。

ところで、最近の人類はやたらと電気を生み出し(発電)、大量に消費(放電)している。おそらく、前時代に比べれば、地球上の電気量は格段に増大したはずだ。はたして、その地球上の電気量の変化は、我々の地球にどんな変化をもたらすことになるのだろうか?



もし、電気が天候を左右するのだとすれば、近年の異常気象などは、一種の人災と捉えることもできる。デジタル・ガジェット隆盛の時代は、まさに電気の時代なのである。その勢いは留まるところを知らぬウナギ昇り。

世界中で生み出される電力は、昇龍のように天空へと舞い上り、それらが妖精の煌(きらめ)きとともに、地上へとまた舞い戻って来る。その大循環の規模が大きくなり、そのスピードが増せば、いったいどんな変動を地球にもたらすのであろうか?

電気の行き渡った生活は、じつに快適至極であるものの、一抹の不安は無きにしもあらず。何事にも「限度」は存在するわけで、生み出せるからといって無限に生み出すことは、のちのちの災厄の火種ともなりかねない(歴史上の人々の過ちは、そんなことの連続でもある)。



現代社会にとっての「電気」は、人体にとっての「水」のように欠くべからざるものである。そんな両者(電気と水)が結びついた時に、地球規模の気候変動が起こるのだとすれば、それほど皮肉な話もないものだ。電気によって隆盛した社会が、電気によって衰退することにもなりかねない。

そんなジレンマが本当に存在するのかどうかは知る由(よし)もないが、東日本大震災以来の日本は、かつてのタガが外れいてた過剰な電力消費を自粛しつつある。それは大災害を契機とした原子力発電への拒絶反応という、いわば消極的な自粛ではあるものの、人類と電力との関わりを再考する一助ともなった。



我々の知る科学はまだまだ発展途上の段階にあることを認識する必要がある。

それは、予想の外れがちな天気予報を見ても明らかなことである。もし、天候と関与するあらゆることを解明し尽くしているのであれば、その予報の精度はもっと上がって然るべきであろう。

そうした観点においては、上空から降る電子と天候との関連を無下に否定することは、決してできない。



日本人の「カミナリ」に関する信仰は示唆的である。

雷神信仰の代表格は、かの菅原道真であり、彼は学問の神様でもある(天神さま)。

カミナリは恐ろしいものである一方で、雨を降らせて豊かな実りをもたらすものでもある。「畏れながらも有難がった」、それが古来日本人によるカミナリへの敬意であった。




現代社会によって徹底的に管理された電気は、極めて安全性が高いため、それを「怖い」と思う感情はすかっり遠のいてしまっている。そして、それはいつでもどこでも手に入るために、「有り難い」などという感情は一向に湧いてこない。

多くの昔話は、そんな傲慢さを戒めることが多いものであるが、現在の我々の所業は、いったいどんな帰結を迎えるのであろうか?

妖精のシッポをつかんだはよいが、その振り返った顔を見れば…、ひょっとしたら小悪魔のような笑みを浮かべているのかもしれない。




出典:コズミック フロント
宇宙の渚 File1. 謎の光“スプライト”


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