「山芋から化ける途中のウナギがとれた」
明治時代の新聞には、こんな奇妙な記事が載っている。山道でウナギを見つけた御仁は、きっと不思議に思ったのだ。「川を泳ぐはずのウナギが、なぜか地を這っている…」と。
そして、中国の言い伝えでも思い出したのだろう。「山芋が変じて、ウナギとなる」とかいう…。納得のいった御仁、「ああそうか、このウナギは山芋から化けたばかりで、川へと向かう途中だったのだ」。
じつは、ウナギが山道を這うのは珍しいことではない。体表にウロコをもたぬウナギは、皮膚の毛細血管が露出しているために「皮膚呼吸」もできる。それゆえ、身体に湿り気さえあれば、水中でなくとも一週間くらいは生き続けられるのだ。
洪水などで川から打ち上げられたとしても、ウナギは山中を這って、また元の川へと戻っていけるのである。明治の御仁はきっと、そんなウナギでも目にしたのであろう。
◎謎多き生き物
まことしやかに「山芋がウナギに化ける」と信じられていたほど、古今東西、ウナギは謎多き生き物であり続けた。ウナギなだけに、ツルツルと「つかみどころ」がなかったのだ。
ギリシャの賢人・アリストテレスは「ウナギは卵から生じるものではなく、泥の中から自然に湧き出てくるものだ」とうそぶいたり、中国の学者が「ウナギにはオスしかいない」と公言したり…。
とりわけ、その生態には謎が多く、いったいどこで生まれるのかを知る者などいなかった、ほんの数年前までは…。
◎グアム島生まれ
ドクター・ウナギこと、塚本勝巳教授(東京大学)らの活躍により、今やウナギの「産卵場所」が特定されている。それは泥の中などではなかった。なんと、日本から2500kmも南方の海、常夏のグアム島の沖合いだったのである。
日本の川で十分に育ったウナギは、その時が来ると大海へと向かって泳ぎ出す。海底の山脈を目印に、南へ南へと延々と泳いでゆくウナギたち。その目的地は、西マリアナ海嶺付近、水深200mという深海である。
6月の新月、空も暗ければ海の底はもっと暗い。
何万匹という無数のウナギたちは、その新月の闇に呼応して大集合。わずか10m四方の空間に、数万匹のウナギたちがギュウギュウ、ヌルヌルとひしめき合いながら、一斉に産卵が始まるのだ。
◎流れ流され…
生まれたての赤ちゃんは、体長わずか3mm以下。その数、数十億。その姿は蒲焼きとなる親たちとは似ても似つかぬもので、まるで透明な柳の葉っぱのようである。
その状態のウナギのことを「レプトセファルス」と言うのだそうだが、ウナギに限らず、アナゴや海ヘビなどニョロニョロ系の生物たちは、小さい頃にこうした形をしているらしい。
中には体長が2mもあるというレプトセファルスも網にかかることがあるというが、それは一体何になるのか? まさか龍ではあるまいな(残念ながら、網にかかったレプトセファルスを育てることはできない。なぜなら、何を食うかわからず、捕まえてもすぐに死んでしまうからだ。ゆえにウナギの養殖も困難を極める)。
ウナギのレプトセファルスは、流れに身をまかせる木の葉のように、フラフラと海流(北赤道海流)に流されながら、フィリピン沖にまでやって来る。薄っぺらいその形は、まるで帆船の帆のように、流されるには一番最適な姿なのである。
そして次には、北へと向かう「黒潮」に乗り換える。その黒潮の流れに乗って、ウナギはめでたく日本へとたどり着くのである。そして、日本の川を登り、その一部は日本人の食卓にまで登るのである。
◎ウナギの律儀さ
ところで、ウナギは何を好き好んで、こんな大回遊をするのであろうか?
一説によれば、昔は産卵場所と生育地はもっと近かったらしい。もともとウナギは「深海」に暮らしていたというが、フィリピン沖あたりがその産卵場所だったという。これは3000万年も4000万年も大昔の話である。
悠久の時が流れるとともに、ウナギたちの根城としていたフィリピン海プレートの角っこは、少しずつ少しずつ徐々に徐々に、フィリピンから遠ざかっていく。その間、ウナギの赤ちゃんレプトセファルスは流されやすい形になって、陸地の川にまで何とかたどり着けるように進化していった。
そして現在、フィリピン海プレートの角っこはグアム島沖にまで遠ざかり、流されやすく進化したウナギのレプトセファルスは、もっと遠くの日本にまで流されるようになった。
その結果、日本に来るウナギたちは、何千kmにも及ぶ大回遊をするようになったとのことである。
なるほど、ウナギたちは遠泳が好きなわけではなく、起点となっていた産卵場所がプレートの移動ととも遠ざかってしまっただけだったのか。しかし、何千万年も前の生まれ故郷にトコトンこだわり続けているという律儀さは、いかんとも形容しがたい。
◎江戸の蒲焼き
そんな律儀なウナギたちは、日本人に愛されすぎて、食べられ続けている。
江戸時代の記録を見ると、ウナギという食は「そば」の値段と変わらなかったということだ。江戸の干拓とともに増えた泥炭湿地で、ウナギがたくさんとれたらしい。
江戸の労働者たちは、沼などでとれたウナギをブツ切りにして串に焼いたというが、それが「蒲(かば)焼き」の元となった。ブツ切りにされたウナギは、文字通り「蒲(がま)」の穂のように見えたのである。
そんな国民食のウナギは、今や高値の花。
今年6月の東京卸売市場では、キロあたり4,700円。去年より4割も高い。その原因は、単純な需給の問題である。要するに、取れる量が減ってしまったから、高くなったのだ。
日本で養殖されるウナギは河川をのぼる稚魚・シラスウナギを捕まえて育てられるが、そのシラスウナギの量が愕然と減ってしまっている。50年前には200~250トンも取れていたシラスウナギは、今や取れても数万トン。もはや数十分の一にまで激減してしまったのである。
一部報道では、ワシントン条約で保護しようかという話も出てきている。もしそうなると、ウナギは絶滅危惧種となり、正式には食べられなくなってしまう(一部、ヨーロッパ・ウナギは、すでに国際的な取引が禁じられている)。
◎揺れ動く産卵場所
おいおい、どうしたウナギ、何かあったのか?
どうやら、数千万年以来の大事な産卵場所に「異変」が生じているようだ。
年々、ウナギの産卵場所は南へ南へ、数十kmずつ移動している。それはプレートの移動の速度よりもずっとずっと速い移動速度である。
なぜ、ウナギが産卵場所を南下させているかというと、それは海に降る「雨」の場所が変わったからなのだそうだ。エルニーニョなどの温暖化要因が、雨の降る場所を移動させているのである。
雨が降った場所は、雨水により海水の「塩分濃度」が薄まる。すると、その淵となる部分には、「塩分フロント」と呼ばれる塩分濃度の境目ができあがる。
ウナギが産卵場所として記憶しているのは、この塩分フロントの「匂い」であると考えられている。そのため、雨の降る場所が変われば、その産卵場所もそれにつられて移動するのである。
◎死滅への旅路
このように、ウナギの産卵場所というのは、気候環境の影響と無縁ではない。そして、その移動はついに「ある一線」を越えてしまった。
あまり南に行きすぎてしまうと、フィリピン海沖に出たときに、黒潮への乗り換えが失敗してしまう。北の日本へ向かう黒潮に乗るには、あまり南に出すぎると、うまくいかなくなるのである。
南に出すぎたウナギの赤ちゃん・レプトセファルスは、北の日本へ行く黒潮の代わりに、南のインドネシアに行くミンダナオ海流に乗ってしまう。まったくの逆方向だ。
たとえ南へ行っても、インドネシアで生き続けてくれれば良いのだが、残念ながら、そう簡単に陸地の鞍替えは難しいようで、結局は「死滅」してしまうようである(死滅回遊)。
緯度にしてわずか1度ほどの産卵場所のズレが、ウナギの生死を左右してしまうとは…。
生命の作り上げているバランスとは、なんと精緻なものなのだろう…。
◎通れぬ関所
こうした地球規模のバランスの変化に加え、日本国内の要因も指摘されている。それは日本の河川ならば、どこにでも目にすることができる「堰(せき)」の存在である。
なんと、ウナギはこの堰が大の苦手であった。堰には決まって「魚道」と呼ばれる魚用の通路が設けられているのだが、ウナギはここが登れないのである。アユやサケならば、流れに逆らって果敢に登れるところが、ウナギはここで行く手を閉ざされる。
海の河口からわずか数百メートルから出現する堰(せき)。一つ超えたとしても、いくつもいくつもの堰がウナギの行く手を阻み続ける。そして、いずれは堰のたもとで力尽き、鳥や肉食魚などの餌食となってしまうのである。こうして、何千kmにも及ぶ旅路は突然終わりを迎えてしまうのだ…。
堰(せき)というのは、ウナギの思わぬ弱点であった。ウナギは決して登りの下手な魚ではない。日光の華厳の滝を登って、その上の中禅寺湖までたどり着くウナギもいれば、アメリカのナイヤガラの瀑布を登る強者ウナギもいる。
しかし、その登り方はヌルヌルと這うように登るのである。流れのないところを。この登り方は断崖の絶壁をもモノともしないが、わずか数メートルの堰が登れない。なぜなら堰の魚道には流れがあって、ヌルヌルとした自らの身体の「ひっかけどころ」がないからだ。
「魚道などは、ウナギの気持ちになって造られていないんです。日本の場合には…」
◎親切なフランスの魚道
ところ変わって、ここはフランス。なんとフランスの川には「ウナギ専用」の魚道が設置されているではないか。
「イール・ラダー(ウナギの"はしご")」と呼ばれるそれには、ヌルヌルのウナギが滑らぬように人工芝が植え込まれていたり、身をくねらせて引っかけられるように杭状の円筒が並んでいたりする。
フランスでは、ウナギが普通の魚道を登れぬことを知っていて、ウナギだけのために専用通路が設けられているのである。フランス人が蒲焼きを食うわけでもなかろうに…。
一方の日本では、ついぞウナギへの配慮がなされぬまま、ウナギの減少ばかりを嘆いていた。ところで、フランスにあるイール・ラダーは日本の川には付けられぬものであろうか。
「いえいえ、これはスゴく安いから、日本の川にも全部つけたら良いよ」
なんとも気の抜けるような、簡単な返答ではないか。
◎生命の大先輩
近年、ドクター・ウナギこと塚本教授らの大活躍もあって、謎の生物・ウナギの生態はかなり解明されてきた。ウナギは泥の中から生まれるのでもなければ、山芋が化けるわけでもない。メスもちゃんといることが今は分かっている。
我々霊長類は、ついつい他の生物を下等だとバカにしがちだが、じつは、ウナギは我々人間よりもずっと大先輩。数千万年前の恐竜がいた頃から、脈々と命をつないで来ているのである。流れ流され、太平洋を大回遊しながらも…。
人間よりもずっと長い歴史の中で、ウナギが日本に立ち寄ったのは、ほんのチョットした偶然だったのかもしれない。そして、それがいなくなるもの、ほんのチョットした偶然に過ぎないのかもしれない。
そう考えれば、ウナギにとって、日本との付き合いはほんの最近のごく短い出来事なのかもしれない。しかし、我々日本人にとっては、少なくとも万葉集以来の長い長い付き合いである。
◎敬意
我々の祖先の日本人たちは、このウナギたちへの「敬意」を忘れなかった。
一部の地方では、敬意を表してウナギをまったく食べない。なぜなら、ウナギは「虚空蔵菩薩」のお使いと信じられているからだ。虚空蔵菩薩というのは、知恵の象徴であり、「空(そら)んじる」という言葉は、虚空蔵菩薩の「空」から来ているのだそうだ。
そのため、虚空蔵菩薩への信仰が厚い人々はウナギを食べない。とくに、丑年と寅年の人ならなおさらである。なぜなら、虚空蔵菩薩が司るのが丑と寅だからだ。
なぜ、ウナギを神聖視するのかの詳細は不明だが、一説によれば、洪水などの水害によって陸に打ち上げられたウナギを見た人々は、ウナギを怒らせたからバチが当たったと考えたという。
また、ウナギを食べて死ぬケースがあり、それも畏れられる原因となったいう話もある。ウナギの血液は人間にとって「毒」であるために、決して刺身になどできないからだ。しかし、蒲焼きのようにシカッリと焼いてしまえば、その毒は毒ではなくなる。
逆に、敬意を払ってウナギを食するということもある。
あえて、虚空蔵菩薩の司る「丑(うし)」の日にウナギを食べることもそうかもしれないし、「山の芋、ウナギに化ける法事をし」などと言うのもそうだろう(山芋の化けたウナギなら生臭モノではないのだから、法事で食べてもかまわない)。
ウソも方便、詭弁も方便。生きたモノを食べずに済むほど、昔は食に溢れてはいなかったはずである。ウナギを食うにせよ、食わぬにせよ、どちらにしてもウナギへの何からの想いは感じられる。
一方の現在、我々はウナギを食べなくても死ぬことなどなくとも、高い高いと文句を言うばかり。
ウナギに限らず、食というものへ「敬意」を払う人などいるのだろうか?
人間の大先輩たるウナギ様。
その謎が明らかになるにつれ、我々はまだまだ学ぶべきことに事欠かないことを思い知る。
かの空海も、知恵を求めて虚空蔵菩薩に祈ったという。
我々はその代わりに、ウナギにでも祈ろうか。ウナギを食べる前に、少しだけでも…。
関連記事:
日本人が大好きな「タコ」はアフリカからやって来る。
それでもフグを食い続けてきた日本人。猛毒の隣りにある美味。
クモの糸一本で絶滅を免れた「クニマス」の物語
出典・参考:
サイエンスZERO 「ウナギはどこへ行った?」
0 件のコメント:
コメントを投稿