2012年9月4日火曜日

正しい文法を持つ「サル」、過去を考える「イルカ」。そこに見る人間知性のカギ。


「危ない!木が倒れてくるぞ!」

と、そのサルは叫んだのだ。



サル語のままに記すならば、

「Boom(ブーン), Boom(ブーン)!  Krak-oo(クラッコー), Krak-oo(クラッコー)!」となる。

※彼らは「キャンベルモンキー」という尾長ザルである。






「Boom(ブーン)」という言葉は、仲間に対する「警告」であったり、時には仲間を集めるための呼び声だったりもする。

「Krak(クラック)」というのは、動物の「ヒョウ(豹)」を表すが、その語尾に「-oo」がつくことで、「障害物」を表すことになる。



つまり、「Boom(ブーン), Boom(ブーン)!」の部分で、他の仲間への警戒を促し、「Krak-oo(クラッコー), Krak-oo(クラッコー)!」は、何か危険なものが迫ってくることを知らせているのである(語を複数回連ねることで、より緊迫感が表現される)。

そして、その語が発せられてシチュエーションが、まさに大木が倒れんとしていた危険な状況だったのだ。



アルバン・レマソン(仏レンヌ第1大学)は、アフリカの密林に分け入り、2年間にわたりこのキャンペルモンキーの研究に没頭した。

そして、彼らの言葉の一端を理解するようになると、彼らが「文法」と呼べるような高度な語法を持っていることに気づかされたのだ。

※かつて、ノーム・チョムスキー氏は「生成文法論」を唱え、人間とサルを分けるものは「文法」であると論じたが、今回のレマソン氏の研究結果は、その定説に疑問の一石を投じるものであった。



なぜ、キャンベルモンキーは、それほどまで語法を発達させたのか?

レマソン氏は、その理由をこう考える。

アフリカの密林は雑多な木々の枝々が盛んに生い茂っているために、極めて見通しが悪く、「目」で相手を確認して意思疎通することが困難である。

見えないならば、声をかければよい。こうして、キャンベルモンキーたちは「言葉」を発達させたと言うのである。



見通しがきかないために、目視以外のコミュニケーションを発達させた例は「イルカ」でも見られる。

水中という環境は、水が濁れば何も見えなくなる。それでもエサとなる獲物を探さなければならないし、恐ろしい敵からは逃げ回らなければならない。

それゆえ、イルカの視覚は退化し、その代わりに「聴覚」を異常に発達させた。



イルカたちの用いるのは「超音波」だ。

超音波は声の一種ではあるのだが、その音域があまりにも広いため、人間の耳ではとうてい捉えることのできないものである。

※人間の耳が捉えられるのは2万ヘルツ程度。一方、イルカが駆使する超音波は、その10倍の最大20万ヘルツである。



イルカたちは自らが発した超音波が、何かにぶつかって跳ね返ってきた音を聴く。

その精度は極めて高く、100m先にある10cm以下の物体をも感知でき、仲間同士では500m以上離れていても交信が可能である。



遠くに魚の群れを感知すれば、イルカたちはその魚の種類までをも言い当てられる。

サバならサバ、真鯛なら真鯛。魚種によって、「音」が違うのだ。

※なぜ魚種によって音が異なるかといえば、それは魚によって「浮き袋」の形や大きさが異なるからである(内部に空気が入っている浮き袋の音は、よく響く)。




食べたり食べられたりする動物の世界を生き抜くには、敵の存在をいち早く感知する能力が求められる。とはいえ、一個体の能力だけではさすがに限界がある。

そこで、賢い動物たちは仲間同士でコミュニケーションを図り、集団を作ることにより、その危険察知能力を飛躍的に高めた。

そうした能力の高まりは、その動物の知能をも発達させるという好循環をももたらすことになったと考えられる。



もともと賢いと考えられていたイルカであるが、最近では「もっと賢い」ということが判ってきている。

彼らは「物事を逆に考える」ことができるのだ。



「逆に考える」というのは、こういうことだ。

たとえば、バケツを「ピー」と命名した時、イルカはバケツを見ると「ピー」と鳴く。

逆に、「ピー」という音を聞いても、イルカはバケツを選ぶ。



人間にとって簡単そうな思考法であるが、これができる動物というのは、自然界ではそうそう見当たらないのだそうだ。

ところがイルカの場合は、「訓練なし」でもそれができるのである。




おそらく、通常の動物たちは、いつも前を向いて考えているのだろう。そして、過ぎたことを「振り返る」ということをおおよそしないのかもしれない。

それゆえ、「逆に考える」ということもしないし、その必要すらないのだろう。



幸か不幸か、人間たちは「振り返る」。

時には、過去を振り返ってばかりで、一歩も前に進まなくなることすらあるのだが…。



野生動物たちの(人間的)賢さを見ていくと、人間が知能を発達させてきた秘密が垣間見えてくるような気がする。

仲間同士のコミュニケーション、そして、過去への思考…。

言葉を発達させた人間は、その言葉を用いて、自らの歴史をとことんまで遡ろうと懸命である。



そう思えば、自然界にあって人間ばかりが、その流れに「逆行しようとする」ことにも何となく納得がいく。

人間のもつ独特の思考法は、我々の脳ミソを発達させたは良いが、自然界の進化にあっては、時としてブレーキのような役割を果すことにもなっているとも考えられる。



ただ単に流され続ければ、何も考えることなどないのかもしれない。

ところが、人間の性(さが)はもはやそれを許さない。

そして、流れに逆らおうとするがゆえに、人間の苦悩は尽きぬのでもあろう。



ある寓話では、洪水に流されるままに流された人が助かり、必死で流れに抗(あらが)い続けた人が命を落とすという皮肉が描かれている。

「流される勇気」

時にはそんな勇気も必要なのかもしれない。








出典:
サルの鳴き声に「文法的法則」を発見(WIRED.jp)
サイエンスZERO 「イルカが話す!触れあう!不思議な能力の秘密」



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