2016年11月22日火曜日

甲冑にみる、細川忠興の美



千利休の弟子であった「細川忠興」。

ほかの武将たちが派手で奇抜な甲冑を身につけていた中、通好みのセンスで戦場を彩ったという。


戦国武将 細川忠興


「こちらは、細川忠興が関ヶ原の戦いで着用した甲冑です」

ほとんど黒一色。

一見、地味な甲冑であるが、あらゆる部位に茶人としての美意識があふれている。


細川忠興 関ヶ原の戦いにおける甲冑



まずは「立て物」と呼ばれる兜(かぶと)の飾り。

忠興の選んだのは「山鳥の羽」。なにかと引っ掛けて折れやすい立て物であるが、忠興のそれはしなやかで、そのうえ軽量であった。

(かぶと)それ自体も、ヘルメットのように無駄のない流麗な形をしている。


山鳥の羽をもちいた立て物



胴にも重い鉄ではなく、軽量で丈夫な革をもちいた。

まるでボディスーツのように、スリムなデザイン。足に巻く脚絆(きゃはん)の布も、汗や雨を吸って重くなってしまうことから省略されている。

「単にスレンダーなだけではなくて、実際に動きやすいようにできています。非常に実用的、実戦的です」


小振りで実戦向き



余計な装飾を徹底的に省きながらも、腰回りにさりげなく赤をいれて見る者をひきつける。

しかも、この赤はオシャレなだけではなく、柔らかいビロードを用いることで太ももへの当たりをソフトにし、動きやすさに一役買っている。





この美しき甲冑で関ヶ原を戦った細川忠興。

徳川家康も思わず、感嘆の声をあげた。

「まるで舞鶴のような見事ないでたち」



刀の鐔(つば)にも、忠興流の美意識がつらぬかれている。

描かれているのは「破れた扇(おうぎ)」。はかなく、欠けたものを愛でる、わびの精神があらわれている。


破扇桜文象嵌鐔



忠興の美は、後世の武士たちにも大きな影響をおよぼした。

たとえば「越中流」とよばれる甲冑様式は、忠興の通称であった越中守(えっちゅうのかみ)からとられた呼び名であり、また「肥後拵(ひごごしらえ)」という刀の様式も忠興の刀を模したものであった。

かの剣豪、宮本武蔵もまた、忠興の美に共鳴した一人であった。

「これが、武蔵のつくったというナマコ透かしの鐔(つば)です」


宮本武蔵の鐔(つば)



余計な装飾が一切ない、武蔵の鐔(つば)。ナマコ形に穴を空けることで、極限まで軽量化されている。

甲冑研究家の井伊達夫さんは言う。

「用の美ですわ。実用の美というのは実戦に耐えているので、線に無駄がないわけです。いらん線はみな省略されてある。動くのに邪魔になるものは省いていくから、必然的に一本の線になってくるわけです。そりゃ、やっぱ強いですわ」



50以上の戦場を駆けた細川忠興。

なんども死地を乗り越えて行き着いた美は、いまなお愛されてやまない。





出典:NHK 美の壺
「戦国武将 いでたちの美学」




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