千利休の弟子であった「細川忠興」。
ほかの武将たちが派手で奇抜な甲冑を身につけていた中、通好みのセンスで戦場を彩ったという。
戦国武将 細川忠興 |
「こちらは、細川忠興が関ヶ原の戦いで着用した甲冑です」
ほとんど黒一色。
一見、地味な甲冑であるが、あらゆる部位に茶人としての美意識があふれている。
細川忠興 関ヶ原の戦いにおける甲冑 |
まずは「立て物」と呼ばれる兜(かぶと)の飾り。
忠興の選んだのは「山鳥の羽」。なにかと引っ掛けて折れやすい立て物であるが、忠興のそれはしなやかで、そのうえ軽量であった。
兜(かぶと)それ自体も、ヘルメットのように無駄のない流麗な形をしている。
山鳥の羽をもちいた立て物 |
胴にも重い鉄ではなく、軽量で丈夫な革をもちいた。
まるでボディスーツのように、スリムなデザイン。足に巻く脚絆(きゃはん)の布も、汗や雨を吸って重くなってしまうことから省略されている。
「単にスレンダーなだけではなくて、実際に動きやすいようにできています。非常に実用的、実戦的です」
小振りで実戦向き |
余計な装飾を徹底的に省きながらも、腰回りにさりげなく赤をいれて見る者をひきつける。
しかも、この赤はオシャレなだけではなく、柔らかいビロードを用いることで太ももへの当たりをソフトにし、動きやすさに一役買っている。
この美しき甲冑で関ヶ原を戦った細川忠興。
徳川家康も思わず、感嘆の声をあげた。
「まるで舞鶴のような見事ないでたち」
刀の鐔(つば)にも、忠興流の美意識がつらぬかれている。
描かれているのは「破れた扇(おうぎ)」。はかなく、欠けたものを愛でる、わびの精神があらわれている。
破扇桜文象嵌鐔 |
忠興の美は、後世の武士たちにも大きな影響をおよぼした。
たとえば「越中流」とよばれる甲冑様式は、忠興の通称であった越中守(えっちゅうのかみ)からとられた呼び名であり、また「肥後拵(ひごごしらえ)」という刀の様式も忠興の刀を模したものであった。
かの剣豪、宮本武蔵もまた、忠興の美に共鳴した一人であった。
「これが、武蔵のつくったというナマコ透かしの鐔(つば)です」
宮本武蔵の鐔(つば) |
余計な装飾が一切ない、武蔵の鐔(つば)。ナマコ形に穴を空けることで、極限まで軽量化されている。
甲冑研究家の井伊達夫さんは言う。
「用の美ですわ。実用の美というのは実戦に耐えているので、線に無駄がないわけです。いらん線はみな省略されてある。動くのに邪魔になるものは省いていくから、必然的に一本の線になってくるわけです。そりゃ、やっぱ強いですわ」
50以上の戦場を駆けた細川忠興。
なんども死地を乗り越えて行き着いた美は、いまなお愛されてやまない。
出典:NHK 美の壺
「戦国武将 いでたちの美学」
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