2016年11月16日水曜日

ローマがつくった「パリ」



フランスの都パリの真ん中に、不思議な銅像が…。

「C'est la louve romaine.(ローマ時代のメス狼です)」

え? ローマ? パリなのに?

「パリをつくったのは、じつはローマ人なのです」







パリがパリになるずっと前の話、この町は「リュテス(Lutèce)」と呼ばれていた。ローマ人たちは、その頃の先住民だったパリシイ(Parisii)族を支配して集落をつくったのだった(AD1世紀)。

メス狼のミルクを飲んでる2人の赤ちゃんは、「ロームルス(Romulus)とレムス(Remus)」という双子の兄弟で、ローマの建国神話にでてくる。捨てられていたのを狼に育てられた彼らは、のちにローマ帝国を築くのである(BC753)。






ローマ時代の名残は、いまのパリにも数多く遺っている。

たとえば「リュテス円形闘技場(Arènes de Lutèce)」。ローマ時代には収容人数1万7,000人という巨大な闘技場であった(現在は公園となっている)。また、クリュニー中世美術館の建物は、ローマ時代の公衆浴場の跡である。






パリがパリとなるのは、ローマ帝国が衰退してから。

ローマの誇った円形闘技場は1210年、時の王フィリップ・オーギュスト(Phillippe Auguste)ことフリップ2世によって埋め立てられ、その上に城壁が築かれた。それはパリを外敵に守るためであり、その城壁は全長5,400mという長大なものであった。その一部は今のパリ市街にも遺されており、幅3m、高さ10mという、一部とはいえ見上げるほどの巨大さである。






その城塞の地下から、ローマ時代の円形闘技場が発掘されるのは19世紀にはいってからのこと。

古いものは朽ち果て、そしてまた守られ、また壊される。リュテス円形闘技場は、そんな歴史の荒波にさらされつづける。またしても埋め立てられそうになるのだ。こんどは都市開発のためだった。

しかし、そんな暴挙をパリの知識人たちは傍観してはいなかった。ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)らは円形闘技場を守るため、市議会に訴えでた。

Il n'est pas possible que Paris, la ville de l'avenir, renonce à la preuve vivante qu'elle a été la ville du passé.
輝かしい未来の都市パリは、すばらしい過去の上に築かれた都市であります。このしるしを軽んじるべきではありません。

Le passé amène l'avenir.
過去があってこそ未来があるのです。






ローマ人たちがつくった頃のパリは、セーヌ川の中洲であるシテ島だけの小さな町だった。それが時代とともに拡張をつづけ、19世紀のころに今の大きさにまでなったという。






そうした歴史の積み重ねが、今のパリの「エスカルゴ」の形を生んだのである。






出典:旅するフランス語




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