天正3(1575)年、徳川家康の家臣となった井伊直政。
井伊直政彦根城博物館 蔵 |
戦で功績をあげ「徳川四天王」と呼ばれるようになりました。
井伊軍の特徴は、甲冑や武具を赤でそろえた「赤備え(あかぞなえ)」。武田に仕えていた家臣たちをまとめた直政は、武田の赤備えにあやかって自身の軍も赤で統一します。
「井伊の赤鬼」と恐れられた直政。家康の命をうけ、豊臣家を抑える役割を担いました。
千田「関ヶ原の戦いで徳川家康は勝利したのですが、豊臣家を一度に潰すことができなかったんです。姫路城や名古屋城、そして彦根城。こういったお城を大阪のまわりに造っていくことで豊臣家を包囲していくんです」
大阪包囲網 |
関ヶ原の戦い(1600)の後、井伊直政は西軍大将・石田三成の佐和山城に入っていた。しかし直政は三成のかつての居城を嫌い、新たな城の建設を計画していた。しかし、1602年、直政は関ケ原での戦傷がもとで死去。
1603年、井伊家を継いだ直継が彦根城の築城を開始。1606年の天守完成を待って直継は彦根城に入城した。
井伊直孝彦根 清凉寺 蔵 |
1615年、直継の異母弟、直孝が井伊家の家督を継ぐと、翌1616年に彦根城の再工事をおこない、1622年にすべての工事が完了。ここに彦根城が完成した。
江戸時代の天守が今に残っている |
出典:NHK趣味どきっ
お城へ行こう! 彦根城
0 件のコメント:
コメントを投稿