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2016年10月27日木曜日

江戸の寿司


歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」

寿司の屋台

寿司屋の番付表

川端玉章「与兵衛ずしの図」

歌川国芳「縞揃女弁慶 松の鮨」




出典:NHK歴史秘話ヒストリア「すしに恋して」


2012年11月9日金曜日

人間の遺伝子を変えるかもしれない食物


まさか、「食べた食物が人間の遺伝子を変える」などということがあり得るのであろうか。

しかし、それを示唆する実験は実際にある。



「たとえば、米に由来するある特定の『マイクロRNA』は、血中から悪玉コレステロールの除去を調節している受容体に結合し、その働きを阻害していることがわかった」

「マイクロRNA」というのはヌクレオチドの短い配列で、タンパク質をコードしてはいないが、特定の遺伝子に作用して、その遺伝子にコードされたタンパク質の生成を阻害する。

南京大学のチャンらは、30人の被験者の血液を調べた結果、日常的に食べられている植物に由来する約30種類のマイクロRNAが、その血中に含まれることを突き止めた。



「マイクロRNAは、ビタミンやミネラルと同様、食物からもたらされる機能性分子なのかもしれない。今までは知られていなかったが…」

この発見は「共進化」にも力を与える。共進化というのは、ある生物種の遺伝的変化が別の種の変化を誘発する現象である。

たとえば、人間が大人になっても牛乳中のラクトースを消化できるようになったのは、牛が「家畜化された後」だった。つまり、人間を遺伝子を変えたのは家畜化された牛だった可能性があるのだ。



それと同様、「人間が栽培した作物も、人間を変えてきたのではないだろうか?」

「食べ物が身体を作る」という古くからの格言は、単なる栄養素としてだけの話ではないのかもしれない。もしかしたら、人間の細胞の最深部にある司令室、遺伝子にも入り込んでいるのかも…。

「自然の中で孤立して存在しているものは、なにもない」





ソース:日経 サイエンス 2012年 02月号
「食べ物から来たマイクロRNA」

2012年9月23日日曜日

ハンバーグ一個、2,000万円なり


「お肉」は人工的につくれるのか?

そんなチャレンジをしているオランダの研究グループがある。「人口培養食肉」の開発だ。食肉の基とするのは「幹細胞」。それを無血清培地で培養するというもくろみ。

しかし、肉はつくれてもコストは莫大。

現在のところ、ハンバーグ一個が2,000万円だとか…。





「未来の『お肉』は食い放題?」

2012年9月10日月曜日

たかが白菜、されど白菜。本当は変わりたいその想い。


現在の日本では、「大根」「キャベツ」に次ぐ国内第3位の生産量を誇る「白菜」。

その普及発展は意外にも遅く、「明治時代」も後期に入ってからである。



日清(1894)・日露(1904)などの戦役を通じて、中国と日本を行き来した軍人たちは、中国で見つけた「珍しくも美味しい野菜(白菜)」の虜(とりこ)になった。

「こんな美味しい野菜ならば、ぜひ日本でも栽培したい」と思った軍人の一人が、「庄司金兵衛」。彼は第2師団に属する仙台出身の兵士であった。



さっそく中国から「白菜の種」を日本に持ち帰った庄司。郷里の友人たちにも、その貴重な種を配り歩く。

庄司の予想通り、「中国には、なんと美味い野菜のあることよ」と、友人知人に大いに賞賛されることとなる。



2012年9月3日月曜日

消えゆくウナギ…、流され続けたウナギの行く先は…。


「山芋から化ける途中のウナギがとれた」

明治時代の新聞には、こんな奇妙な記事が載っている。山道でウナギを見つけた御仁は、きっと不思議に思ったのだ。「川を泳ぐはずのウナギが、なぜか地を這っている…」と。

そして、中国の言い伝えでも思い出したのだろう。「山芋が変じて、ウナギとなる」とかいう…。納得のいった御仁、「ああそうか、このウナギは山芋から化けたばかりで、川へと向かう途中だったのだ」。



じつは、ウナギが山道を這うのは珍しいことではない。体表にウロコをもたぬウナギは、皮膚の毛細血管が露出しているために「皮膚呼吸」もできる。それゆえ、身体に湿り気さえあれば、水中でなくとも一週間くらいは生き続けられるのだ。

洪水などで川から打ち上げられたとしても、ウナギは山中を這って、また元の川へと戻っていけるのである。明治の御仁はきっと、そんなウナギでも目にしたのであろう。


2012年7月21日土曜日

「絶食」の魅力。皇帝ペンギンとともに。


人間は食べなければ死んでしまう。

しかし、食べ過ぎても病気になるかもしれない。

先進国においては、どちらかというとその「過食」の方を心配しなければいけないだろう。



ここに一つに提案がある。

それは「絶食(断食)」。

この究極とも思える選択に惹かれる人々は、積極的というよりも、むしろ消極的な理由であることも多い。絶食療法を選ぶ人々はたいてい、一般的なお医者様から見放されてしまった人々たちだからだ。