2012年8月26日日曜日

流れ星のくれた生命。彗星のもたらした奇跡


夜空を流れる「流れ星」

かつて、諸葛亮(三国志)は赤く大きな流星が3度流れる様を見て、自らの死を悟ったといわれるが、現代に生きる我々はその流れ星に願い事を託す。

古来、流星はその儚(はかな)さから「死」を連想させることもあれば、その希(まれ)であることから「希望」を象徴するものでもあったのだ。



人類が流星の中にこうした「生死」を見てきたのは、もしかしたら本能的なものだったのかもしれない。なぜなら、最近の科学者たちはこう考えているからだ、「地球上の生命は、流れ星に乗ってやって来た」と。

「?」。科学者の言葉とは思えないほどファンタジーな発言ではないか。しかし、彼らがそう言うからには、そこにはそれなりの根拠があるはずである。





◎星に願いを…


通常、流れ星の瞬(またた)きは1秒前後と儚(はかな)いものであるため、その一瞬間に願い事を3度唱えることは至難の業である。

それでもガッカリすることはない。流れ星というのは、希(まれ)であるようでいて、肉眼で見えるもの見えないものも含めれば毎日2兆個もの星が、地球の空のどこかしこで流れている。一人当たりに換算すれば、毎日300の願い事が叶うことにもなる。





◎じつは小さい流れ星


明るい流星は車のヘッドライトほどの光を放つ。

流星が明るければ明るいほど、その元となる星もさぞかし巨大なものであろう…、と思うのは早計。じつは流星の元となる星屑は「砂粒」ほどに小さい。たとえ大きくとも数cm、通常は1cmにも満たないミリ単位の小さな星屑なのである。



なぜ、それほど小さな星屑が、100kmほども離れた地上から、肉眼で見えるほどの輝きを発するのか?

その秘密は星屑が地球の大気圏に突入するスピードにある。流星が地球の大気圏に飛び込んでくるスピードは、一秒間に10~70kmというマッハ(音速)を超える猛スピードである。



たとえ砂粒ほどの大きさといえども、この猛スピードで大気圏に突入することにより、行く手の大気が猛烈に圧縮され、高温・高圧化する。すると、その猛圧力に耐えかねた空気は「プラズマ状態」となり、そのガスがモノ凄い光を放つのだ。

つまり、流星の輝きは星屑自体が燃えている輝きではなく、極度に圧縮された前方の空気が光を放っているのである。もちろん、結果的に星屑自体も燃え尽きてしまうのだが…。



◎燃え尽きない流星


大気圏突入によって、流星が燃え尽きるのならば、「流れ星に乗って、生命が宇宙からやって来る」ことは不可能ではないのか?

確かにそうである。しかし、現実問題、地球上には宇宙から膨大な量のチリが降り注いでいる。その量は年間3万トンともいわれ、1メートル四方の面積に毎日一個、宇宙からのチリが落ちてきている計算になるほどである。

「庭先にも、車の上にも落ちてきていますよ。あなたが息をする時にも、きっと吸い込んでいるはずです」



なぜ、燃え尽きない流星があるのか?

それは、その星屑が塵(ちり)のように小さく、羽毛のようにフワフワと軽量だからである。

具体的には、その星屑の大きさが0.001mm以下であれば、地球の大気圏で燃え尽きることはない(光を放つこともない)。もし、それよりも大きければ、大気との間に激しい摩擦を生じて燃え尽きてしまうのだが、羽毛のようにフワフワとした小さな星屑であれば、大気の抵抗を受けると、摩擦を生じる前に急減速してしまうのである。

あたかも紙吹雪を思い切り投げても、遠くまでは飛ばないように。





◎チリに乗って地球に舞い降りた有機物


急減速したチリは、もはや流星の輝きを発することはない。なぜなら、流星の輝きは猛スピードで大気圏に突入した時にのみ発せられるものだからである。

流星になり損ねた小さな小さな星屑は、まるでプランクトンか何かのように、ユラユラと大気中を漂いながら、数週間かけてゆっくりゆっくり地上にまで舞い降りてくる。

科学者たちが「宇宙からやって来た生命」と言うのは、こうした輝き損ねた宇宙のチリのことである。こうしたチリの中に、生命の材料となったはずの「有機物」が含まれており、それらが複雑に絡み合うことで生命が誕生したと考えられているのである。



ところで、元々の地球上には生命の材料となる「有機物」は存在しなかったのであろうか?

残念ながら、その可能性はほとんどない。それは太陽系の誕生課程を見れば明らかである。



◎破壊され尽くした地球上の有機物


太陽系が誕生したとされるのは、およそ46億年前。その頃の宇宙空間には大量の星屑やガスが漂い、生命の源となる有機物もたくさんあった。というのも、宇宙空間においては、宇宙放射線などの高いエネルギーにより化学反応が起きやすく、有機物なども比較的簡単に作られていたのである。

そうした有機物を含む星屑やガスが次第に寄り集まり、星らしきモノを形成していく。そして、ある程度大きな塊となったそれらは、互いに衝突を繰り返し、より大きな塊(星)となっていく。



地球もそうした激しい衝突の繰り返しから誕生したと考えられている。

星同士の激しい激突は、膨大な熱を発する。そのため、星屑やガスに含まれていたはずの有機物は、地球が衝突を繰り返す過程で、すっかり破壊され尽くされてしまったのだ。

残念ながら、こうして地球上の生命の芽(有機物)は完全に絶たれたのであった。



◎太陽から遙か離れた氷の世界


一方、太陽から遠く離れた太陽系の端の方では、事情がまったく異なっていた。激しい衝突はあまり起こらずに、星屑と氷の塊ばかりがたくさんできていたのである。

そのため、宇宙空間に漂っていた有機物も完全に消滅することはなく、むしろ氷の塊の中に生命の種(有機物)は冷凍保存されて、半永久的に存続することとなった。



生命の種たる有機物を閉じこめた氷の塊は、何かの拍子に宇宙の旅を始めることがある。じつは、この旅を始める氷の塊こそが、地球に流星を降らせる「彗星(すいせい)」なのである。

「彗星」とは、ハレー彗星などが有名であろうが、長い長い尾を引きながら宇宙を滑空する星々のことで、我々の太陽系内に無数に飛び回っている。そして、その無数の彗星のうち、50数個の彗星は地球の軌道とも交わっている。





◎彗星の降らせる有機物


彗星の長い尾は、太陽に近づくことで発生する。というのは、太陽に近づくほどに太陽の熱が彗星の氷を解かし、解けた氷の中から大量の星屑が放出されるからである。

その結果、彗星の通った跡には、あたかも飛行機雲のような軌跡が残る。そして、その星屑の大河のような彗星の軌跡に地球が突入した時、彗星の残した星屑たちが地球の大気と衝突して、流れ星となるのである。

たとえば、ペルセウス座流星群やしし座流星群などは、地球が彗星の生み出した大河に飛び込んだ時に見られる流れ星の嵐のことである。



そして、その彗星から放出された星屑の中には、生命の種ともなる有機物が含まれている。

太陽系の端で冷凍保存されていた有機物が、太陽の熱によって再び宇宙に解き放たれ、それが地球にまで降り注いでくるのである。



◎彗星の尾の中に入った探査機・スターダスト


はたして本当に彗星の尾(星屑)の中には有機物が含まれているのか?

それを確かめるために宇宙に放たれたのが、「スターダスト」と呼ばれるアメリカの探査機である。1999年に打ち上げられたスターダストは、およそ50億kmの長き旅を経て、7年後に地球に帰ってきた。そして、見事に彗星の吹き出す星屑を採取に成功した。

スターダストが接近した彗星は「ヴィルト第2彗星」と呼ばれる星で、出発からおよそ5年で、その尾の中にまんまと入り込むんだ。そして、彗星の尾の中に入った探査機・スターダストは、そこでエアロゲルというネバネバの板を宇宙空間に突き出して彗星の放出する星屑を集めてきたのである。





こうして、探査機・スターダストは彗星の尾の中にあった10万個以上の星屑を地球に持ち帰ってきた。そして、その星屑の中には明らかな有機物、具体的にはアミノ酸の一つである「グリシン」が含まれていた。

グリシンは生命の身体をつくるのには欠かせない物質。それが彗星の尾の中に存在したのだ。そして、その有機物は、先述した通り、小さくフワフワしたものであれば、流星となって燃え尽きることなく、地球上に到達することができるのである。



◎星の子ども達


こうした成果を受けて、地球誕生時には消滅したとされた有機物が、彗星という有機物の運び屋の手(尾?)によって地球にもたらされた可能性が濃厚となった。

スターダストの持ち帰った星屑の中に、有機物・グリシンを発見したダニエル・グラビン博士は興奮気味に語る、「これで地球生命誕生にまつわる謎の一つが解き明かされた!」



なんと、我々は比喩的にではなく、実際に「星の子ども達」だったのか。

流れ星というのは、まさに宇宙からの贈り物。そして、我々の身体もその贈り物からできているということか。

その贈り物は流れ星になり損ねた、輝き損ねのクズのクズだったのかもしれない。しかし、そのクズのクズは生命という、また別の輝きをこの地球上にもたらしたのである。



◎流星の振りまく希望


「地球上の生命は、流れ星に乗ってやって来た」

そう語る科学者たちには確かな論拠があった。

もし、そうなのであれば、この広大な宇宙に他の生命が存在する可能性もあるのだろう。生命の種を運ぶ彗星たちは、今もセッせと種を撒きながら宇宙を飛び回っているのだから。



人類は流星に希望を見たり、死を見たり…。いつの時代にも気になって仕方がなかった。古くは秦の始皇帝がハレー彗星を眺め、日本人も「日本書紀」に書き記したりしている。

そして、今でも「なになに流星群」と聞けば、普段は星なぞに何ら興味を示さぬ者までが、何だ何だと夜空を見上げる。



無意識にも、我々は生命の源を見上げているのであろうか。

そして、それは希望の源でもあるのかもしれない。



「星に願いを…」

そんな気持ちが我々の肉体の気づかぬところにコビリ付いているかのように…。







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参考・出典:
宇宙の渚 第3集 46億年の旅人・流星

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