2012年7月21日土曜日

人を幸せにするホルモン「オキシトシン」


イギリスの、とある田舎の結婚式。

ここでは、ある実験が行われようとしており、採血道具やら、遠心分離機やらがドヤドヤと運び込まれていた。

その実験の目的はといえば、結婚式の参加者たちの「ホルモンの変化」を調べることだった。そのために、結婚の誓いの直前と直後の計2回、血液のサンプルが採取された。



その結果は…、おおむね実験者たちの予想通りであった。

「オキシトシン」というホルモンが「増加」していたのである。

オキシトシンとは、別名「幸せホルモン」と呼ばれる物質で、文字通り、人に「愛情」や「幸せ」、「安らぎ」などを感じさせてくれるホルモンである。





結婚式の参加者たちのオキシトシンの量は、「花嫁を太陽とした、太陽系のように配列させることができた」。

1回目と2回目の採血の間隔はたった1時間だったが、花嫁のオキシトシンは28%も急増。それに次ぐのは、花嫁の母親(24%増)、花婿の父親(19%増)、花婿(13%増)…。親族から、友人たちへと、徐々にオキシトシンの増加率は下がっていった。

はちきれんばかりの新婦の幸せは、水面の波紋のごとく、周囲に波及していた。そして、その影響は彼女への思い入れが強い人々にほど、大きく伝わっていたのである。



おや、花婿は?

花婿のオキシトシンの増加率は13%と、花嫁の半分以下である。

ということは、彼はそれほど幸せではなかったのか?



そうとばかりは言い切れない。

花婿のホルモンには、また別の変化が起こっていた。それは、テストステロンの増加である(100%増)。

テストステロンとは、男を男たらしめる「男らしさ」の源である。花婿の血中でこのホルモンが盛んになっていたということは、それだけ花嫁を守ろうとする気概が花婿に満ちていたことになる。

つまり、新郎は「最強のオス」と化していたのである。




幸せホルモン「オキシトシン」と、男らしさホルモン「テストステロン」は、シーソーのような関係にある。

相手を信頼する気持ちが強ければ安心して、幸せのオキシトシンが多くなるが、逆に、相手を用心・警戒する気持ちが強ければ、男らしさのテストステロンが多くなる。

このように、テストステロンには、人間が無防備に他者を信頼し過ぎないように、オキシトシンを抑制する力がある。安心と用心、信頼と警戒のバランスは、これら2つのホルモンのバランスが生み出すものなのである。



ホルモンという物質は、まさに物質である。

つまり、人間が手に取って扱うことができるのである。

幸せのオキシトシンもその例外ではなく、合成されたオキシトシンを鼻の穴からスプレーすれば、誰でも皆、幸せになってしまうのだ。「庭のホースの噴出口のように、簡単に切り替えられる」のである。

なんと、われわれが目に見えないと信じている「幸せ」とは、実は物質だったのか?



冒頭の結婚式の例のように、幸せなシーンはオキシトシンの量を増大させる。

また、「人に信頼されている」と感じることも、このホルモンの放出を促進する。そして、人は信頼されることにより、さらに信頼できる人になる。



この信頼の好循環は、オキシトシンの量によって測ることができ、その「信頼の輪」は、花嫁から波及する幸せの輪のように周囲へと拡散していく。

逆に、不信の輪の広がりも、同様であり、男すぎるテストステロンが強すぎれば、他者を警戒しすぎて、お互いが必要以上に警戒し合う悪循環を生み出してしまう。それは、核兵器をチラつかせる抑止力外交のように…。



ここで面白いのは、オキシトシンによる好循環の輪と、テストステロンによる悪循環の輪は、互いにリンクしているということである。

なぜなら、オキシトシンとテストステロンとの関わり合いは、一枚の紙の表裏のような関係にあり、長い人間の歴史は、2つの波紋のぶつかり合うところに、常に位置してきたからである。



そのせいか、不思議なことに、幸せと信頼のオキシトシンは、見知らぬ他者との接触によっても増加するのである。本来、見知らぬ他者は「最も警戒すべき相手」であるにも関わらず。

もともと、人間は集団活動が好きなようで、様々な形の「集い」はオキシトシンを増加させる。しかし、だからといって、身内だけで固まり過ぎてしまっては、生存に不利になるケースもあったのであろう。

そのため、適度に外部の人々と接触することは、人々にとっては喜びでもあったのである。人間の知恵の集大成でもあるホルモンは、そう教えてくれているのだ。




昨今、人とのコミュニケーションが疎遠になるケースも多々ある。

その一方、SNS(ソーシャル・ネットワーク)などによるバーチャルな繋がりは、恐ろしいほどの勢いで加速し続けている。



幸いにも、幸せと信頼のオキシトシンは、現実と非現実(バーチャル)を区別しないようである。

フェイスブックで「いいね!」を人から頂いたり、ツイッターで自分のつぶやきが「リツイート」されることでも、「オキシトシンの急増を促し得る」。




ホルモンがそう反応するのであれば、それはある意味、人間的に正しいことでもあるのだろう。

安心と用心、信頼と警戒のバランスを、オキシトシンとテストステロンは、人間の一生よりもはるかに長い長い年月をかけて、模索し続けてきたのであろうから。



逆に、短い人間の一生に限定されがちな「頭」による判断は、その経験不足ゆえに誤った選択を下してしまうことも多々あるのかもしれない。

やはり、頭で納得するよりも、「腑に落ちる」という、より身体的な感覚のほうが得心がゆくのであろう。



人は理性を重んじようとするけれども、その一方で、直感の魅力には抗いきれない。

頭で納得しようとしても、身体が言うことを聞いてくれるとも限らない。



そんな時、ホルモンという物質は、一生懸命に何かを訴えているのかもしれない。なにせ、彼らは嫌というほど「失敗」をも経験してきたのであろうから。

「心の声」という抽象的な概念も、じつはもっとハッキリとした声なのかもしれない。我々がそうとは知らないだけで…。

人間たちは少し前まで、ホルモンという物質の存在すら知らなかったのだ。






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