2012年7月5日木曜日

地球に「酸素」が生まれたのは…


その革命は、小さな小さな緑色をした者たちによって成された。

彼らは「ラン藻類」と呼ばれる、水を緑色にヌルつかせる者たちである。



時として厄介者とされる彼らは何を成したのか?

それは「光合成」である。彼らこそが光合成の祖であり、何よりも重要なことは、彼らが地球上に初めて「酸素」をもたらしたことである。これは27億年前という遙か大昔の出来事であった。







◎宇宙では珍しい酸素


昔々、何十億年も昔の地球には酸素が存在していなかった。

というよりも、宇宙の星々で酸素を持つ星の方が極めて珍しく、現在の地球のように、大気中の酸素が20%以上もある星というのは宇宙では異例である。

たとえば、金星の大気はCO2が96%、火星のCO2は95%、木星は水素が81%、土星は水素93%…。

Source: google.com via Tara on Pinterest



30億年以上前の地球には、こうした近隣の星々の例にもれることなく、酸素はほとんど存在しなかったと考えられている。

地球が誕生したのは46億年前、その頃の大気は「ヘリウムと水素」であった。その後、火山の噴火などにより「二酸化炭素」が大量発生することになる。

酸素がその星に自然発生することは、ほとんどない。酸素の星・地球でさえも、水蒸気が紫外線により分解された時などに酸素が発生するというが、その量は極く微量である。

地球上に酸素が豊富であるのは、そこに住む「生物たち」がそれを生み出しているからである。もし地球上にその生物たちがいなかったら、地球の大気の酸素量は200分の1程度と計算される。



◎生命誕生、そして酸素発生


地球に生命が誕生するのは、およそ40億年前。

そのごく初期の生物たちは、酸素を必要としなかった。もともと地球に酸素はなかったのであるから、それを必要とするわけがない。

酸素を生み出した緑色の「ラン藻類」にとっても、それは排泄物にすぎず、その珍奇は排泄物(酸素)は、ある生物にとって有害ですらあった。



ところが、この好ましからざる厄介者「酸素」の登場によって、地球上の生命は宇宙史上マレな進化を遂げ、幸か不幸か、人類誕生にまで至るのである(進化論を信じるならば)。

もし、水中の緑色のラン藻類がプクプクとケツから酸素を出さなかったら…、この奇跡は起こらなかったのかもしれない。

なんと小さくも、大きな一歩であったことだろう。現在も地球に生きる小さな小さなラン藻類は、「酸素生成」というかくも大きな革命を成し遂げたのである。



◎光合成への第一段階


光合成により酸素を発生するシステムは、「光化学系(PS)Ⅰ」「光化学系(PS)Ⅱ」と呼ばれる2つの反応がある(PSはPhoto Systemの略)

原初の段階で、この2つの反応は「別々の生物」が行っていた。そして、それぞれの反応が別々だった頃は、今の植物のように効率的な光合成は行えなかった。

どの点が非効率だったかというと、外部からの「エサ」を必要としたのである。つまり、ただ寝そべって日光浴をしているだけではエネルギーを生成することができず、エサを求めて忙しく働き回らなければならなかったのだ。


◎より効率的なシステムへ


生命は常に「楽(効率化)」を目指すのものなのだろうか。

「シアノバクテリア」と呼ばれるラン藻類は、別々だったPSⅠとPSⅡをまとめてしまい、エサ無しでも、つまり光と水、そしてCO2さえあれば生きていけるシステム(現在の光合成)を確立することに成功した。

ここにきて、生命はようやく寝て暮らせる方法を見つけたのである。





◎他生物との融合


さて、光を浴びて水中を漂っているだけで生きていたシアノバクテリア。その楽そうな様を見た他の生物たちは、何を思ったのであろう。「あいつは仕事もせずに遊んで暮らしているゾ」とでも思ったのであろうか。

シアノバクテリアに接触してきた生物は、その秘密のノウハウ(光合成)に興味があったのかもしれない。いち早く効率化を達成したシアノバクテリアは、一躍人気者となり、引く手あまたとなったのだから。

ぬるぬるとしたシアノバクテリアは、それらの求めに応じて、他生物との一緒に暮らす「共生」の道を選ぶことになる。



この共生関係の樹立は平和的なものだったのか否か。シアノバクテリアは食べられた結果、その体内に取り込まれたのか。

その過程がいずれにせよ、共生の道を選んだシアノバクテリアは、のちに植物の中の「葉緑体」となる。葉緑体とは、言わずと知れた植物の葉っぱが行う光合成の本体である。

Source: buzzle.com via Hideyuki on Pinterest




◎地球に急増した酸素


「光と水、そしてCO2さえあれば生きていける」という効率的なシステム、そして他生物の体内でも暮らせるというフリーな順応性が受けに受けて、「光合成」はドカンと大ブレイク。

こうして地球の大気の大半を占めていたCO2は光合成によりグングンと消費され、その代わりに光合成の排泄物としての酸素ばかりが増えていった。




かつては圧倒的だったCO2は、右肩上がりに急成長してきた酸素により、その量の逆転が起こる。だが、この過程において、この逆転劇は好ましくない側面もあったであろう。

この逆転劇は、現代文明でいえばエネルギー革命のようなものであり、圧倒的な石油エネルギーが他の何モノかの新エネルギーに取って代わられたようなものである。

既存の勢力にとっては、革命ほど厄介なものはない。それは大富豪が大貧民になるようなものである。



◎捨てる神あれば…


シアノバクテリアが行っていた「のんきに暮らす」ための光合成は、そんな大革命を誘発したのであり、そして、当時はゴミでしかなかった酸素が大問題ともなったであろう。

シアノバクテリアが楽をしているがゆえに、好ましくないゴミ(酸素)ばかりが増えていく。核のゴミ問題ではないが、「誰がそのゴミを処理するのだ!」と怒る人(?)もいたかもしれない。



しかれど、「捨てる神あらば、拾う神あり」。そのゴミ(酸素)を拾った生物たちは、その後の大隆盛を迎えることとなる。そのゴミ処理班は、誰もが毛嫌いしていた酸素を用いて「呼吸」を行い、酸素の持っていたとんでもなく巨大なエネルギーを手にすることになったのだ。

「カンブリア大爆発」と呼ばれるのは、地球上に動物たちが出そろった一大ショーのことであるが、このイベントが発生する頃には、地球上は十分な量の酸素で満たされていたのである。





◎巡るエネルギー


こうした変遷はじつに興味深い。

二酸化炭素が多ければ多いで、それに適応した生命が花開き、酸素が多くなれば多くなったで、またそれに適応した生命が隆盛する。

何をエネルギーに用いるにせよ、必ずそのゴミ(副産物)は出るのであり、そのエネルギーが尽きた時には、今度はその増えすぎたゴミをエネルギーとするモノたちがどこからともなく現れる。



我々の文明は、化石燃料を燃やしすぎるがゆえに、大気中のCO2濃度が高くなり、また、原子力発電で核を分裂させすぎるがゆえに、放射性物質がどんどんと生み出されていく。

人間にとってはCO2も放射性物質も「利用不可能」であるがゆえに、それらはゴミと称せられるが、もしそれらを利用できる生命がどこからともなく登場したのなら、それはもはやゴミではなくなるだろう。



かつての「酸素」は、そうしたゴミの一つであったわけだが、それを利用できた生物にとっては、これほどの神の賜物はなかったわけである。酸素という高エネルギーの物質を利用できた生物は、次元の違う破格の運動エネルギーを手にすることができたのだから。

ちなみに、酸素を利用できた立役者は「ミトコンドリア」であり、彼らは我々の細胞一つ一つの中で今も元気に暮らしている。



もし、放射性物質という人間が手に負えないほどの高エネルギー物質を利用できる生物が発生したとしたら…、それは我々にとっては怪物のような存在となるのかもしれない。

かつて酸素を利用できなかった生物が、身をもって味わったように…。



◎バランスのとれた酸素量


現在、地球の大気中にはおよそ20%の酸素が存在する。先に述べたように、これら酸素のほとんど全てが「生物」、具体的には「光合成」によって生み出されている。

生物の生成する酸素の量は年間「2600億トン」。この量は、地球上の酸素量12兆トンのおよそ「4600分の1」に相当する。すなわち、4600年間で地球上の酸素は一巡することになる。

現在の地球では、酸素を生産するシステムと消費するシステムが、見事にバランスのとれた状態にあり、それが大気中20%の酸素量、4600年という循環期間である。



しかし、億年単位という地球の歴史を振り返れば、こうしたバランスがじつに儚いものであろうことも考えられる。実際、かつてのCO2時代から、酸素の時代へと地球の大気は変化してきたのである。

そして、最も酸素が多かったは3億年前と言われ、その量は現在の1.5倍以上の30数%だったそうだ(現在20%)。この酸素全盛時代に生物たちは巨大化し、大げさに言えば、「風の谷のナウシカ」のような世界だったとも。





◎現在に生きるタフなラン藻類


地球に酸素をもたらす大革命への線を引いた「ラン藻類」は、ゴキブリ以上にタフな生物である。彼らのもつシンプルさと効率の高さは、何十億年を生きるに十分なほどであり、彼らの柔軟性は驚くほどである。

他の生命体に取り込まれるのを良しとすることもさることながら、何十年も乾燥状態に耐えて、砂漠の砂上で増殖してみたり、逆に南極や北極の氷の海を漂ってみたり…。

じつは、地球上で最も多い「光合成生物」というのは、この顕微鏡的な大きさにすぎないラン藻類なのである。



◎ 人間とラン藻類


人間にとってのラン藻類は、厄介でもあり有用でもある。

海を真っ赤に染める「赤潮」というはラン藻類の仕業であり、この発生によって海産物は大打撃を受ける。




また、川をペンキで塗ったように青く染める「アオコ(青粉)」もまたラン藻類の繁茂の結果である。アオコに汚染された水は毒素をもつこともあり、それを飲んだ人間が死亡した例もある。





その一方で、ラン藻類は「食用」にされてきた歴史もあり、アフリカや中南米では「スピルリナ」が食され、中国では「髪菜」が高級食材とされている。

日本でも「水前寺ノリ」が懐石料理のために養殖されている。日本では食用以外でも、水田にラン藻類を繁茂させ、肥料を生成させようという試みもあるという。



◎CO2を酸素に変えた錬金術


たとえ有用な面はあるにせよ、人間にとってのラン藻類は、取るに足らない存在と思われるのが常であろう。

それでも、27億年前に彼らが成した「酸素革命」を軽んずることはできない。この革命なしに、人間が誕生することはなかったのだから(進化論を信じるならば)。そして、地球は両隣の惑星(火星・金星)同様、二酸化炭素の星のままだったかもしれない。



二酸化炭素を酸素に変えるという錬金術は、地球の様相をまさに一変させた。「青(海)と黄色(太陽)」しかなかった世界に「緑」をもたらしたのである(余談ではあるが、緑色とその補色である赤色を認識できるのは、霊長類特有の進化らしい)。

緑色が酸素を生み、その酸素が生物の進化を加速させたのだ。



◎進化か、退化か。


この観点から見れば、地球ならびに生物の進化は、大気中の酸素量の増加によりもたらされたものであり、それは逆に二酸化炭素量の減少あってゆえのこととも言える。つまり、この考え方において、二酸化炭素に逆戻りすることは退化を意味するのである。

酸素が増えて生命が増えたからこそ、大気中の二酸化炭素は生物体として固定され、それが化石燃料(石油や石炭)ともなったのである。



もし、過剰なペースで化石燃料が燃やされ、一度は地中に固定された二酸化炭素が再び大気中に放出されるとするならば、その時の地球はどんな変化を体験するのだろう。

その時には、もっともっとラン藻類に活躍してもらうよりも他にないかもしれない…。少々やっかいな赤潮やアオコを大発生させてもらって…。






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